【ここまで追いつめた!徳川埋蔵金】
 
   調査開始から17年、ついに見つけた幻の金山跡
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 伝説の宝島は実在した!
      
海賊キャプテン・キッドの財宝探し
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旧日本軍の財宝が必ずある!
     北陸某県山中で展開中のTプロジェクト
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【天草編】 天草四郎軍の秘宝を求めて


 寛永年間の1637年から38年にかけて起こった「天草・島原の乱」の一揆軍に、隠し財産があった…。島原半島の原城に立てこもり、幕府および近隣諸藩の軍勢との決戦を迎えたとき、敗戦後のことを考え、再起のための資金を天草へ持ち帰り、島内の「三角池」に沈めたというのです。
 資金といっても、お金ではなく、重さ6キロの黄金の十字架をはじめ、金銀の燭台、宝石をちりばめた王冠など、キリシタン関係の宝器類と伝えられます。文化財としての価値は相当のものでしょう。この話は地元に伝わるものではなく、幕末近くに江戸のある商家から出てきた記録にあったものです。
 天草四郎軍に巨額の財宝があったなど、常識では考えられません。でも、もし記録と一致する場所が天草に実在するなら、可能性がないことはないと私は考えていました。すると、1974(昭和49)年の夏、「三角池」らしい場所が見つかったのです。場所は天草下島の苓北町の山中。かつては大きな池だったのが、水が流れ出し、今は湿地帯になっています。地元では「カラ池」とよばれていました。池を半周するように旧道があり、天草の本渡で勝利を収めた一揆軍は、富岡を攻めるためにここを通っていますから、彼らは池の存在を知っていたはずです。記録にある場所ともほぼ一致します。何よりも私が驚いたのは、その湿地帯の形が、まさしく三角形だったことです。しかも、長崎にあった天草の古い地図に、その場所に「さんしゃる池」というのがのっていることがわかりました。
「もしかしたら、この話は事実かもしれない」
 手ごたえを感じた私は、仲間を集め、同年7月から1978年の3月にかけて、現地へ8回通い、発掘調査を行いました。74年の8月には、1カ所から加工された木片がまとまって出土しました。財宝を収めていた箱の一部だろうと驚喜し、その周辺を徹底的に探りましたが、財宝は姿を現さず、あとはほかの場所で砲弾のかけらみたいなものが出てきただけで、残念ながらこれといった成果はなく、調査をうち切りました。
【群馬編】 徳川幕府の御用金探し

 埋蔵金研究の第一人者だった故・畠山清行氏とともに、徳川幕府の御用金探しをしたのは、1977(昭和52)年秋から翌年の夏にかけての約1年間。幕末の徳川御用金埋蔵伝説では赤城山麓が有名ですが、畠山氏が目をつけていたのは、まったくちがう場所でした。
 旧三国街道(現在の国道17号)沿いの、群馬県利根郡みなかみ町(旧新治村)に、猿ヶ京という温泉地があります。幕末に、この近くの寺に江戸から大量の荷物が馬で運ばれてきたという目撃談が残っていますが、荷物は2日か3日のうちに姿を消し、その行方はだれも知らないのです。畠山氏は、消えた荷物が、江戸の金座・銀座から運び出された十数万両の御用金ではないかと考え、その寺とつながりの深い、昔の宿場跡である同村永井を調べたところ、村の地下に謎の横穴があることがわかりました。永井には、ほかにも、佐渡から運ばれる途中の御用金が紛失した事件など、四種類の黄金伝説があり、私は、もしかしたらその横穴に複数の財宝が隠されているかもしれないなどと、欲張りなことを考えてしまいました。
 横穴はどこにも入口がないので、戦前と戦後の道路工事中に偶然穴があいた場所の近くから入口を見つけようということになり、おおよその見当をつけて縦穴を掘りおろしました。しかし、一年目は12メートルまで掘ったものの発見できず、建設省の許可をとって行った2年目の調査のときに、やっと国道の真下に入口を見つけることができました。高さ1.6メートル、幅60センチほどの細長い穴が、およそ90メートル続いていました。当時はまだ関越自動車道がなく、国道17号が関東と新潟を結ぶメインルートで、入口のすぐ脇を大型のトラックがうなりをあげて走り抜け、危険なので、内部の調査は2週間に限られました。金属探知機の反応があったところを重点的に調べたのですが、結局、出てきたのは茶碗のかけらとたいまつの燃えかすみたいなものだけで、複数の財宝どころか、小判1枚も発見することはできませんでした。しかし、横穴の隅々まで調べつくしたわけではなく、私は機会があればもう一度チャレンジしてみたいと思っています。ただし、私たちがあけた横穴の入口は、調査期限が過ぎるとすぐにダンプ3台分の砂利とコンクリートで埋められたので、現在はまた闇に閉ざされています。

(写真左)国道の下にあいた入口から斜面を5mほど下ると、右に直角に曲がり、ゆるいカーブの横穴が30mほど続く。
(写真中央)横穴の高さは1.6m、幅60㎝ほど。
(写真右)途中に1坪ほどの広さの天井がドーム状になったところがあり、横穴はここから右へ約20m、左へ約40m続いている。
【千葉編】 酒井康治の軍用金探し
一時は「宝蔵」と確信した横穴

 戦国時代の末、千葉の土気城主だった酒井康治は、豊臣秀吉が小田原の北条氏を攻めたときに北条方について、石田三成らの軍勢に敗れます。そのとき、軍用金の保管を家臣に命じました。実際には、同家の家臣ではなく、地元の名主のような存在だった成島氏がそれを預かったのですが、江戸時代の半ばごろに改めて埋蔵したと伝えられています。額は黄金2800枚で、「砂中の石櫃の中に在り」ということになっています。この「黄金」というのは、江戸時代の小判ではなく、戦国時代に各地の武将が独自につくっていた私鋳貨幣でしょう。そうなると、骨董価値はかなりのものです。そのことを書いた文書が、現在の千葉県市原市金剛地の成島家の土蔵から見つかったのは幕末近くのこと。そして、同家の当主が屋敷内とその周りを掘ったのですが見つからず、昭和の初めに文書を一般公開しました。すると、全国各地から埋蔵金マニアが大勢おしかけ、そこらじゅうを掘りまくったとのことです。その跡は今でも残っています。
 さて、この文書は一種の謎文になっているのですが、その解読に成功したという人物が私に発掘話をもちかけたのは、1978(昭和53)年のこと。私と仲間はこの話にのり、その年の秋と翌年の春に金剛地にある本宮寺という日蓮宗の寺の周囲で発掘を行いました。第2次調査の際に、寺の山門前の旧家跡で横穴を掘り当て、「ついに宝蔵発見!」と勇み立ったのですが、中は空っぽでした。
 それから10年以上たった1992(平成4)年、あるテレビ番組のために再び寺の周辺を探ったところ、地中レーダーが山門の下に空洞があるのを探り当て、そこへ通じる狸の穴みたいな横穴も見つかりました。人が入れないので、空洞の上から小さな穴をあけたあと
山門の地下1.2mのところにあった空洞を上からのぞく。 山門の内側で見つかった砂の層を掘ったが、ここも空っぽ。
、横穴からCCDカメラを棒の先にとりつけてのぞいてみたのですが、ここも空っぽ。さらに、山門を入ってすぐのところに、地中レーダーが見つけた砂の層があり、「砂中の石櫃」という表現にピッタリだったのでここも掘ってみました。しかし、その中には何もありませんでした。この埋蔵金は、もしあったとしても、すでにだれかに発見されてしまったようです。
●そのほか、これまでに発掘調査を行ったところ(継続中の場所も含む)
◇愛知県知多郡南知多町 【前野小平治の埋蔵金】…1979年10月
◇栃木県下野市(旧河内郡南河内町) 【結城晴朝の黄金】…1985年12月
◇群馬県利根郡片品村花咲 【徳川幕府御用金】…1993年4月~
◇山梨県富士河口湖町(旧西八代郡上九一色村) 【武田信玄の軍用金】…1993年8月~
◇群馬県桐生市(旧勢多郡新里村) 【深澤家の埋蔵金】…1994年5月/2000年3月~
◇埼玉県鴻巣市(旧北足立郡吹上町) 【Y家の埋蔵金】…1998年12月~
◇埼玉県さいたま市 【O家の埋蔵金】…2002年5月
◇福岡県三池郡高田町 【K家の埋蔵金】…2002年10月~
◇鹿児島県鹿児島郡十島村宝島 【海賊キッドの財宝】…2006年8月
◇千葉県館山市塩見海岸【沈没船から打ち上げられた小判】…2014年4月~

●調査目的で訪問したところ
◇北海道檜山郡江差町 【軍艦「開陽丸」の財宝】
◇岩手県下閉伊郡川井村兜明神岳 【安倍貞任の軍資金】
◇岩手県西磐井郡平泉町 【奥州藤原氏の黄金】
◇山形県東田川郡羽黒町 【羽黒山黄金堂の埋蔵金】
◇山形県西置賜郡白鷹町 【最上川の発見小判と西村久左衛門の埋蔵金】
◇福島県耶麻郡猪苗代町 【蘆名義広の軍用金】
◇福島県郡山市小倉沢 【小倉沢の金塊】
◇茨城県結城市/栃木県小山市 【結城晴朝の黄金】
◇群馬県渋川市(旧勢多郡赤城村)/利根郡昭和村/安中市(旧碓氷郡松井田町)
  高崎市(旧群馬郡倉渕村)/富岡市(旧甘楽郡妙義町) 【徳川幕府御用金】
◇群馬県佐波郡玉村町 【千輝家の埋蔵金】
◇埼玉県深谷市 【斎藤家の埋蔵金】
◇千葉県南房総市(旧安房郡千倉町) 【南総里見家の埋蔵金】
◇東京都新宿区筑土八幡町 【だらだら長者の埋蔵金】
◇東京都文京区湯島 【由井正雪の軍用金】
◇東京都港区高輪 【増田甲斎の財宝】
◇大久保長安の埋蔵金 【神奈川県足柄下郡箱根町】
◇新潟県岩船郡朝日村 【山賊岩井沢小弥太の隠し金】
◇山梨県南巨摩郡身延町(旧西八代郡下部町) 【穴山梅雪の埋蔵金】
◇山梨県韮崎市 【武田勝頼の軍用金】
◇山梨県南巨摩郡増穂町 【小栗上野介の埋蔵金異説】
◇山梨県甲州市(旧塩山市)【武田信玄の軍用金】
◇岐阜県大野郡白川村 【帰雲城の埋没金】
◇兵庫県川辺郡猪名川町 【豊臣秀吉の黄金】
◇長崎県壱岐市郷ノ浦町 【伊藤小左衛門の埋蔵金】
◇長崎県長崎市 【ポルトガル船「マドレ・デ・デウス号」の財宝】
◇大分県臼杵市 【大友宗麟の軍用金/真名野長者の埋蔵金】
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